伽耶琴は、朝鮮半島の12本の絹の弦を張った琴。「伽倻の琴」と書く通り、3世紀から6世紀頃まで朝鮮半島の南の方にあった「伽耶国」嘉實王(カシル王)が、6世紀頃に于勒(ウロク)という楽師に12弦の伽耶琴と12の曲を作らせたと言われている。
その後「伽耶国」は新羅(シラギ)に統合されるが、そこで于勒(ウロク)と弟子たちは、伽耶琴を発展完成させました。
新羅の時代の土偶には、伽耶琴を演奏する姿が多数描かれていて、そのことからも、音楽が盛んだったと考えられている。日本にも奈良時代に「新羅琴(シラギゴト)」という名で伝えられていて、正倉院に保存されている。
その演奏法は、日本の琴のように指にツメをつけて弾くのではなく、直接、弦を弾いたり、つかみ離すなどして、演奏する。左手の指では弦を押したり、引いたいり、また「弄絃(ノンヒョン)」と呼ばれる、弦を揺らす独特の演奏法によって、様々な音色を作り出す。
この「弄絃(ノンヒョン)」は、朝鮮半島で「恨(ハン)」と呼ばれる深い悲しみの感情を表現するとも言われていて、左手の奏法は伽耶琴にとって、命と言われている。
伽耶琴を演奏する伽耶琴奏者のハン・テラ