“田舎に戻ると、わが師を追悼した作品を書こうという考えが浮かんだ。私は『葬送の歌』を作曲し、それは同年秋、亡き偉大な音楽家の追悼に捧げられたベリャーエフのシーズン最初の演奏会でフェーリクス・ブルメンフェーリドの式により演奏された。不幸なことにどう作品のスコアは、革命の間に、私がロシアに残してきた他の多くのものととともになくなってしまった。私はもはやその音楽を覚えていないが、それを構想したアイデアはとてもはっきりと思い出す。それはオーケストラのあらゆる独奏楽器の行列のようなもので。それらは各々順次、花輪のかわりに、トレモロによる低い音域の呟くような音を背景としているのだ。聴衆には、そして私自身にも相当強烈な印象が残った。それが喪の雰囲気の作用なのか、作品自体の長所によるものなのか、私にはその点について今日、自分の考えを述べることはできない。”
これは『私の人生の年代記 ストラヴィンスキー自伝』(P.32/未来社) の中で、師であるリムスキー=コルサコフが亡くなった時(1908)のことについて、ストラヴィンスキー自身の回想の引用(この回想は1935年頃)。ここで「なくなってしまった」と語っているこの『葬送の歌』(リムスキー=コルサコフのための葬送歌)(Op.5)の楽譜が発見されたというニュースが2015年9月にあった。ニュースによると、サンクトペテルブルクの国立リムスキーコルサコフ音楽院で2015年、修復工事に伴う引っ越し準備の際、音楽資料室の倉庫を整理していた係員が楽譜を見つけたという。
作品は1908年に死去した作曲家リムスキーコルサコフ(1844-1908)を追悼して作曲され、翌年のコンサートで一度だけ演奏されたという。回想にあるように、1917年のロシア革命の際に楽譜が行方不明になったことを悔やんでいたが、ストラヴィンスキーは後に、どこかの資料室に楽譜が眠っているはずだと晩年に指摘していたという。それを受けて関係者らが熱心に捜していたというが、ついに約100年後に(パート譜が)発見されたということだった。
そして昨年(2016年)12月2日、サンクトペテルブルクのマリインスキー劇場で、音楽総監督ヴァレリー・ゲルギエフの指揮によって約100年ぶりに再演された。2017年になり世界各地で初演(再演)され、日本でも5月に日本初演された(指揮:エサ=ペッカ・サロネン、演奏:フィルハーモニア管弦楽団)。
僕は今、ベルリンフィルハーモニーの『デジタル・コンサートホール』で、サイモン・ラトル(指揮)の演奏で聴いているが、なんだかワクワクする壮大な話だ。
ストラヴィンスキーを有名にしたバレエ・リュスの『火の鳥』の作曲が1910年。それ以前の、管弦楽曲『花火』と同じ1908年の作曲。『花火』は5分ほどの小品だが、『葬送の歌』は、11分ほどの大作。リムスキーコルサコフを彷彿させる流麗でメロディアスな部分も多く、ストラヴィンスキーの新たな代表作となりそうだ。
Igor Stravinsky- Funeral song, Op. 5/ Chant Funèbre opus 5