私は音楽にも関わっているが、その分野では吉田秀和や武満徹が、美術では滝口修造や澁澤龍彦といった、信頼出来る「美の書き手」たちが何人かいた。しかし、その人たちが亡くなってからは、美術も音楽も、そしてその他のジャンルでも、鋭い目を持った評論の書き手という人が少なくったように思うが、北川氏の『美の侵犯・蕪村X西洋美術』は、彼ら亡き後、その空白を埋める人物であると改めて感じたのであった。
北川氏のこの本は、美術と蕪村の俳句を通して、美というものが、実に危うく深いものだという事を静かに語りかけてくれて、私の西洋美術への見方もずいぶんと変わったように思う。そして、この本を読むまでまったく知らなかったのだが、与謝蕪村の俳句が実に幅広い内容で、不気味なものや、エロチックなものまでも含まれていて、フィクションの面白さをたくさん持っている人である事を知る事が出来た。そのイメージの豊かさと幅の広さは、ちょっとモーツァルトに似た謎めいた人物であるようにも、私は思った。
しかし、この本の作者である北川氏は、以前に書かれた『モナリザ・ミステリー』や『美の迷宮』を読んだときにも思ったのですが、美術家として、コラージュやオブジェ、そして写真や詩までも各々に手掛ける一流の表現者でありながら、評論という、深い知識と文章力が要求されるジャンルにおいても、美術評論家と称する人たちよりも遥かにレベルの高い内容を、しかもわかりやすく、高い完成度で伝えてくれる事は、ただ驚くばかりであるが、このような幅広い能力を一人の人間の中に持っているという事が、私にとっては最大の謎と言えるかもしれない。現代の音楽も美術も文学も、その他の多くのジャンルが、軽く薄っぺらな不毛な方へと流れていっており、そこに疑問を持っている人は私以外にもたくさんいると思うのが、この本は、そう言う方は是非読まれる事をおすすめしたい、深さと面白さに充ちている。